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ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

「振り返りジャーナル」の魅力と教室のコミュニケーション

書評 雑記 教育一般

事務仕事がやたらと多い学年末という感じがする今日この頃、あまり読書が進んでおりませんが先日この本を読んだ。 

「振り返りジャーナル」で子どもとつながるクラス運営 (ナツメ社教育書ブックス)

「振り返りジャーナル」で子どもとつながるクラス運営 (ナツメ社教育書ブックス)

 

この本を買ったのは、以下の記事であすこま先生が紹介していたから。

askoma.info

上の記事で詳細なレビューが書かれているので、自分は自分の興味に沿って、本の感想を書いておこうと思う。

「軽やかに受け止める」という感覚

この本では、生徒に書かせたジャーナルの確認は「40人を20分で」とアドバイスされているように、フィードバックしすぎないようにするように述べられている。

そのようなアドバイスをする理由は色々と述べられているが「安定的に続ける」ための工夫なのだと感じる。どうしても生徒から色々なコメントがあると、それに対して教員は全てに答えようとしてしまう。

しかし、それは「振り返り」に「振り返り」以上の作業を課してしまうことになっている。本来は安定的、継続的に続けることで子どもたち自身が自分の成長を理解し、少しずつ主体的に成長していくためのものであるはずの「振り返り」が、そうやって教員が熱心にコメントをしてしまうことによって、教員ばかりが苦労して自分で仕事を増やすような状況に陥ってしまう。

そうなると子どもの方としては興ざめしてしまうのだろう。「振り返り」が自分のためではなく教員の方を向いて書くようになってしまうんじゃないかと思う。

その意味だと自分も振り返りとして「大福帳」を使っていたけど、コメントを書きすぎているんじゃないかなぁ…という気がしてきた。

s-locarno.hatenablog.com

この本の中で指摘されていたけど「振り返りジャーナル」で問題を解決しようとしてはダメ。この本の中の言葉を借りるのであれば、生徒が何か訴えてきたときに「軽やかに受け止める」ということが大切なのだと思う。

生徒のことを無視しているのではなく、何でもかんでも一つのツールで解決しようとしないけど、一方できちんと受け止めているというメッセージを発することが大切なのだろう。

継続的にそんなメッセージを発し続け、学級という場を緩やかに安心できるに育てていくという感覚なのだろうか。

小学校の実践以外でもやれるかな

この本で紹介されているのは小学生の振り返りジャーナル。

子どもたちがぐんぐんと成長するんだろうなぁという雰囲気が伝わってくるのだけど、これが中学校、特に自分が所属しているのが高校であることを考えると、中高でこういう取り組みがどんな効果を得られるのかが気になる。

あまり生徒とベタベタしないようになる高校の段階だと、ちゃんと継続できるのかも上手く想像できない。でも、個人的には「大福帳」で生徒と細かくやりとりを続けていくことで自分にとってのフィードバックが多いことを考えると、「振り返りジャーナル」という形で、「軽やかに受け止める」ことや「緩やかにつながり安心できる場を育てる」ことを実現できればいいなぁとも思う。

高校の教室で「生徒とベタベタしない」という言い方は聞こえはいいけど、一方で「何も生徒のことを知らないでいる」というような現実もあるように感じる。

別に必要以上に生徒のことを抱え込むのは、あまり良いことではないのだけど、緩やかに「困ったら頼れる場がある」という感覚を提供できないものかと思うことはある。

その意味だと、「振り返りジャーナル」を緩やかに続けることは意味があるような気もする。ただ、気を付けないと「勉強しろ」だとか「成績が悪い」だとかのフィードバックをしてしまいそうだし、教員のご機嫌取りをやらせるような羽目になりそうだ。

形に残るもので自分の歩みを振り返る意味は色々な場面で感じる(考えればこのブログだって振り返りの一種)だけに、こういう形の取り組みをホームルームでできないかなぁとは思う。ただ、それがうっとおしいものにはならないように…。

「軽やかに受け止める」……難しいなぁ。

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