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ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

仕事が始まるので思い出話

memories

明日から仕事が始まるので仕事のやる気を出すための個人的な雑記。

まあ、仕事に対する豊富のようなものとして読んでもらえれば。

教育実習の記録を読み返していた

この休みの間は自分の勉強も少しずつしていたけど、実家に帰っていたということもあって大学時代の資料を読み返していた。

いやはや……現役の時は不真面目に扱っていた資料だけど、先生方が持ってくる資料の過不足のなさや各先生のこだわりを渡された資料からヒシヒシと感じる。どうして、現役の時にもっとちゃんと勉強しなかったんだよ、俺……。

まあ、そんな感傷はさておき、今回、ふたを開けたパンドラの箱は、教育実習をした人にはお馴染の「教育実習簿」*1である。

教員にしか伝わらないと思うけど、「教育実習簿」はある意味で公的な黒歴史*2ノートである。なぜ、黒歴史になってしまうかと言えば、教育の現場についてよくわからない若造が、自分の理想や熱意に任せて不勉強のままに学校や生徒に対して偉そうに批評してしまっている*3からである。

自分も読み直してみたけど、ひどいこと……。文句のような生徒の批評をしてみたり的外れな指導観を講釈たれてみたり……一ページめくるたびにHP*4がひたすら削られていく。

なぜ、こんな苦行を新年早々にしているのかと言えば、また新学期になった時にどんな授業をしていこうかを考えるためのてがかりを得るためだ。

無意識に自分が考えていることは過去にある

教育実習簿を見ていて思うことは、自分が数年前とそんなに考え方が変わっていないんだなぁということ。例えば、文句のような分析をしていることを見ていると、やっぱり今でも生徒の様子を見ていて気になることだとか自分が繰り返し話していることだとかを延々と書いている*5

特に指導案についてみてみると、まあ、書いてある内容については生徒観も指導観もさっぱりダメだし気持ち悪いことこの上ないんだけど、「やりたい」と思ったことは、今でも一番最初に考えてしまうことなんだなぁ…と感じる。

自分が教育実習でやったのは、絵本を群読劇に翻作させるグループワークなんだけど、そこで「話すこと・聞くこと」をやりたいと思った理由は、やっぱりそれまでに読んでいた『大村はま国語教室』だとか『西尾実教育全集』だとかで「伝えること」がすべての基礎にあるんだということが強調されていることに影響を受けている。

今、授業は生徒自身がやることをデザインして取り組むべきだという思いをもっているのは、やっぱり教育実習でやったことから続いているんだなぁと感じる*6

ちなみに、指導教諭だった先生はノート指導や作文指導などに取り組まれていた。近くでその仕事の様子を見ていたので、現在の自分もやっぱりそうやって影響を受けているなぁと思う*7

その意味だと、見ていて死にそうになるけれども、自分のルーツを確認するためには年に一回くらい読み返すといいなぁと思う。調子に乗るなよ、あとで恥をかくぞという自戒を込めて……

教育実習は大変だったけど

今読み返すとろくでもない実習の記録ではあるし、実習での悪行ではあるんだが……、それはそれなりに大変でしたよ、ええ……。

当たり前だけど、午前七時には出勤して教材研究や打ち合わせをしていたら帰るのは九時過ぎ、そこから研究室に戻って自分で教材研究……んで、守衛さんに追い出されるというような日々を過ごしていました*8

今よりも働いてるな……(笑)

でも、今よりもストレスを感じなかったなぁという感じはある。もちろん、思い出なんて美化されるものであるし、生徒や保護者の矢面に立つものではないから責任もない気楽な立場だというのが大きいのだろうとは思う。

だけど、一番、記憶に残っていることは、同級生と授業についてずっと議論したりお互いに模擬授業を見せ合ったり授業についてコメントをしあったりということだ。

週末になると毎週近くの飲み屋にいって始発まで延々と色々なことを飲んで話していた(笑)

下手な考え休むに似たりなんだけど、それでもお互いにやりたいことを忌憚なく話せたことは楽しかったなぁと思う。

ある意味、今、教員となって「個人商店」のように授業をやって、隣の「商店」からは何も言われないで好き勝手授業をしているのは、気楽と言えば気楽だし面子も脅かされることもないから自由だって効く。

でもなぁ……と思う。

自分が固くなっていないか

今の自分の授業は間違いなく教育実習の時よりも上手にできている。

でも、教育実習の時ほど、エネルギーをかけて授業を作っているのかに自信がなくなってくる。

少なくとも「個人商店」を開いていて、誰からも文句を言われないことにあぐらをかいている現状や授業について職場で議論したり勉強をしたりすることがほとんどないことは、余力を持て余しているように感じる。

そりゃあ……外につながりを求めていけば、それなりに知り合いはできるし、勉強を進めることもできるのは間違いなけれども、近くにいて、同じ生徒を見ている、同じ職場でちゃんと議論できないのは、やはり健全ではないし、どこかで研鑽に限界があるんじゃないかと思う。何よりも日常的に勉強するのであれば、近くの人と話すのが一番いいのは間違いないわけで……。

教育実習の頃のように、全力で、色々と考えて、謙虚に周りから意見を聞いて、自分にできる一番いいことを目指していた、そんなことをやれないかなぁと思う。少なくとも、余力を残して授業をしていることはあまり健全には感じない*9

一人で色々なことはできないのは分かっているんだけどなぁ……。

*1:指導教諭となってみてわかるが、あのコメントも大変だよね……当時は軽く見てましたよ、はい…

*2:人には言えない恥ずかしい自分の過去のことをその道では黒歴史と呼ぶ

*3:記録には個人差があります。

*4:ヒットポイントのこと。HP1のダメージは鼻毛を一本抜いたくらいらしい。

*5:実習が後半になればなるほど字がやつれていき、内容が同じような繰り返しになるのは実習生あるある。

*6:後日談として、自分が盛大に授業をとちったせいで、あとから同じ指導教諭について同級生は教科書をやるように言明されたとさ。

*7:話は逸れるが、自分は国立の教育学部卒なので実習は附属学校でした。だから、指導教諭の方の仕事が非常に高度であったのでいまだに影響されている(というか今でも国語教育関係の大会でご活躍しているし!)とは感じる。天に唾するようだけど、自分の見聞きする範囲では、やっぱりこれだけ高度な仕事を見ることができるという点からしても、教員を目指すならまっとうに国立の教育学部教員養成過程を出るべきだとは思う(まあ、大学によってはあえて附属でやらないこともあるけど)。指導される質は違うと思うよ、うん。個人の意見なので根拠はないけど。

*8:別に一切強制されていません。単純にやることが多いのと、周りが競い合うように授業準備したり話し合いしたりするので際限がなくなっているだけである。決して強制ではございません。若さゆえの暴走である。

*9:とはいえ、持続可能な余裕を持つことは大切ですが。余力を残すと余裕を持つは別ということで。

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