今回はバツつけにならず丸付けになってよかった…。
まあ、冗談はともかくとして、今回も生徒の実態を図るための問題を作れたと自己満足していますが、その誤答を分析して思うことを多少……。
昨日、書いたPISAの記事で紹介した国立教育政策研究所のPISAの誤答分析と似たようなことを考査の答案から見つけたという話です。
複数の情報をつき合わせるということ
国立教育政策研究所の「読解力の向上に向けた対応策」(PDF)の中で【過去の調査結果と比べて大きな変動があった設問の誤答分析】という項目があるが、そこでは以下の二点が指摘されている。
- 2画面にわたる表の情報と文章の情報を、それぞれ整理し突き合わ せることがうまくできなかった可能性
- 課題文の情報を整理しながら読めていないために
・一部の情報について文章全体における意義を捉えられていなかった
・複数の文章の関係や個別の情報の意義が捉えられていなかった
などの可能性
今回、自分が課した定期考査も、ちょうど「表の情報と文章の譲歩を、それぞれ整理して突き合わせる」ことを求めるような問題や「課題文の情報を整理しながら読」むことで「複数の文章の関係や個別の情報の意義が捉えら」えるを求める問題を出したところ、やはり苦戦している様子が見えた。
これは考査に出すまでもなく、授業の様子からかなり苦戦はしていたからね…。
資料が増えれば増えるほど、いろいろな負担が増える。
教員はバカにしがちだけど、テスト用紙の配置によって考査の正答率が変わることもある。例えば、答えさせたい表と問題文がページをまたいでしまって、何度もページを行き来させるようなことをさせると、成績上位層はともかく中位以下についてはそれだけで自分が何をやっているのかがわからなくなる生徒は、高校生であっても少なくない。
でも、そういう「読解以外の認知的な負担」があることと「読解そのもの」を育てることって峻別できるのか怪しいとは思うけど、「読めているのに整理できない」ことと「読めていない」を分けないで指導することも雑だよなぁと思う。
上の国立教育政策研究所の「改善」の方針として「文章の構造と内容の把握、文章を基にした考えの形成など、文章を読むプロセスに着目した学習の充実」ということが指摘されているが「文章の構造と内容の把握、文章を基にした考えの形成」に偏っていると「など」のほうに含まれている「文章の並び方で認知的な負荷が変わって理解に差が出るということ」や「言葉遣いを少し変えるだけで取り組みが変わること」などの観点を見落としそうな気もする。
挙がっている指導例が「文章の構成や展開について記述を基に捉える学習、文章を読んで理解したことを基に自分の考えを深める学習の充実など」と読むことそのものの負荷をどう考えていくかとかそもそも理解の仕方をどうとらえて指導するかを考えるかなどの色合いが薄いことが、結局、読もうとしないことや単純に見えるミスを重ねる生徒のことを置き去りにすることの大義名分を与えるような理解のされ方をされそうなのが嫌な感じなんだよなぁ。
理解の仕方の自由があっていいと思うのだが…
自分は認知などに明るいわけではないので、うまい言い方はできないのだが、やっぱり根本的に学び方って個別化されて、自由度が高いものでよいと思うのです。だからこそ、プロジェクト学習やオルタナティブ教育に興味が惹かれるところがあるので。
でも、考査や教室で使う資料ってどうしても画一的で、同じ理解を求めがちになる……というか、同じものを求めなければいけない部分もあるのがきつい。
こんなことを考えていると、自分も三学期はリーディングワークショップ……挑戦したいかもしれないと、ふと思う年末である。