ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

ちょっとしたアンケート結果

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先日、興味本位でTwitterでアンケートをとってみました。

皆様にRTなどもご協力いただき、89票を集めることができました。

ご協力いただいた方はありがとうございました。

まあ、数としては多くはないけど、なんとなく自分の見聞きしている話と近いイメージの回答になりました*1

この結果について思うことをちょっとだけメモしておこう。

「国語総合」なのに…

結果として「国語総合」の「現代文」と「古典」がバラバラの担当によって教えられていることが多いという自分の感覚と同じような結果が得られました。

うーん…せっかくの「国語総合」という科目なのに、結局、担当がバラバラになって、「現代文」と「古典」が分断されているのはもったいないように感じる。

その理由の一つとしては、国語が「言語文化」を教えるという面があると感じているからだ。西尾実のいうところの「言語生活」と言ってもいい。難しい話を抜きに言い換えれば、「言葉に関わることを自分の生活に楽しんで取り入れて、自分の人生を豊かにしてほしい」という素朴な願いが自分の指導観にある。

だからこそ、「国語総合」のように「国語」に関わることを柔軟に教えることができる科目を大切にしたいと感じている。

厳密なことを言えば、「古典講読」や「古典A」や「古典B」でも古典だけでなく古典を解説する現代の文章を扱うことが求められているので、「国語総合」だけが現古の両方を扱うわけではないんだけど、それでも、三領域で目標が明示されていることや必修科目であることを考えても、「国語総合」は現代文と古典を分離しないで指導したほうがいいのではないかと感じる。

なぜ、現代文と古典が分断されるのか

なぜ「国語総合」が分断されてしまうのか。様々な理由があるので一概にいうことはできないだろうけど、見聞きしている理由をいくつか挙げておく。

1.入試の指導の都合

現代文にせよ古典にせよ、「受験」対策を考えるのであれば、二つを切り離して指導したほうが指導しやすいという。例えば、古典であれば「文法」を徹底的に授業時間で何度も教えこむ……とかね。

入試問題を現代文も古典も両方やろうと思ったら、確かにそれは厄介なことになるのもわからないでもない。世界史の先生は日本史は教えられる免許になっていても、別に日本史の入試指導ができるかは怪しいからね。

でもねぇ…そうやって古典嫌いを量産したことや「国語は役に立たない」というイメージを植え付けたことを損失は大きいんじゃないかなぁ…。

2.教える側の問題

情けない話だけど、教える側が「現代文はできない」だとか「古典はできない」だとか言ってはばからない人が少なからずいる。

自分としても「現代文」か「古典」かに絞って教えたほうが授業の準備も楽ではあるんだけど、それでも、自分が持っている免許は「国語」であって「現代文」でも「古典」でもないからなぁ……。片方しか教えられないといって「国語総合」を拒否するのであれば、免許を返上したほうがいいんじゃない?(暴言)

でも、採用する側も、特に私学は「古典専門の人(現代文はおよびじゃない)」などの募集の仕方をして、完全分業で募集していたりするからね…。

次期指導要領だとどうなるか?

今のところは、必修科目としては「現代の国語」と「言語文化」の二科目として置かれることになりそうだ。だから、結果的には、「現代文」と「古典」を異なる担当が教える方向性になっていくようには見えるんだけど、決して、それは二つが無関係で分断されているという発想ではないんだろうなと思う。

「現代文しか教えられません」とか「古典しか教えられません」とか言って、教えることを放棄することは、やっぱり不誠実でしかないでしょう。たとえ、それぞれの科目についての専門性なりはあったとしても、「国語」の教員としてはやっぱり不誠実だと思う。

また、次期指導要領についてみるのであれば、やはり「資質・能力」という観点が問題になる。「現代文はわからない」「古典はわからない」といっていて、「国語」として「資質・能力」を育てることはできないだろう。そもそも、自分のやりたいことに引きこもっている教員に、社会との連続性を問題としていくこれからの教育に対応できるとは思えない。

まあ、天に唾するようなことはほどほどにして、自分は今やっている「古典エッセイを書く」という授業で「国語総合」としての在り方を実験してみます。 

s-locarno.hatenablog.com

なお、この記事の話について詳しく書いてあるのは次の本です。そのうち、書評を書こうとは思いますが、参考に。 

変わる! 高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして

変わる! 高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして

 

実践案も載っていて、なかなか面白いですよ。

*1:厳密に考えれば「国語総合」という区分についてわかっている人は国語の教員くらいなので、おそらく上の投票には「現代文B」「古典B」などの科目と区別がついていない層はいるかと思う。まあ、遊びですから気にしませんが。

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