ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

次の授業は書くことを…

※写真に特に意味はない。国語の神様が降りてこないかなぁと思って……。

今年も三分の二程度が終了して、そろそろ今年度の授業を総括する方向に授業を展開していきたいなぁという思っています。

そこで今年度の初めから考えていた「書くこと」の授業をいよいよそろそろ始めようかなぁと思っています。

流れとイメージはできていますが、まだ細部は詰め切れていないのでちょっとアウトプットすることでもう少しイメージを固めようかなぁと思って本日の記事。…といっても、まだ自分の願いを中心としたざっくばらんとしてものだけど。

「書くこと」の専門家が周囲に少なからずいるだけに、あまり変なことを言えないなぁ…と戦々恐々としていますが、よりよいものを作りたいので、何かご意見があればコメントいただければと思います。

自分の考えにこだわってほしいという願い

本校は中高一貫校ということもあるのだけど、中高で担当が大きく変わりがちだ。自分が今年受け持っている生徒も、昨年度の担当から高校に入って引き継いだ生徒であって、それほど授業数が多くない中、ゼロから子どもたちとの関係を作ってきました。

それまでの担当の授業のやり方に慣れ、生徒同士の関係性が出来上がっている中に、異分子な自分がポンと投げ込まれて……いやはや、酷いプレッシャーを受けました*1

授業のやり方は良くも悪くもそれまでの担当と大きく違ったため、しばらくは生徒が戸惑うことも多く、迷惑を掛けましたが、だんだんと慣れてきて、子どもたちのよさや弱点も分かるようになってきました。

そのことの一つが以前にも記事に書いた「考えることの質」ということについてだ。 

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どうしても生徒に対する責任転嫁のような響きになってしまうので言いたくはないのだけれども、引き継いだ生徒の大きな弱点として「自分の言葉で考える」ということに対する粘り強さや、そもそも知的な好奇心やこだわりが非常に弱いという感触があった。

大福帳に書いてくるコメントや自由記述させてみた文章がテンプレートで考えなしに「頑張ります」を繰り返すだけであるなど、とにかく「埋まっていれば教員が満足する」ということに慣れ切った状態だった。

だからこそ、自分が今年度に入ってずっと今でも考え続けているのが「自分の考えを持つこと」にこだわって欲しいということだ。

別に高校一年生だから、学術的に高度なことを論じることをしてほしいわけでもないし、大人から見てちょっと稚拙な言葉であってもいいと思っている。ただ、自分の言葉で自分自身の考えを丁寧に表現してほしいという願いだ。

それは、何となく周囲に流されて何も考えないままに自分の時間を無駄にしてしまうことが非常にもったいないことであるし、同時に恐ろしいことだと思ってほしいからだ。

よその国の選挙を論評できるほどの教養は自分にはないけど、今日のアメリカ大統領選挙の結果をどう見るのか、その話がどのように自分の生活につながるのか、気づかないうちに自分の生活が自分のものでなくなっていないかということに真摯に向き合ってほしいのだ。

表現することは楽しいことだと思ってほしい

これまで長い間、子どもたちなりに育ててきた考え方や思考の仕方を簡単に変えられるなんて尊大なことは考えていない。

もし、たかだか半年くらいの授業で生徒の考え方や思考の仕方が変わったなんてことが起こるなら、それは不自然にしか感じられない。

自分は緩やかに、でも丁寧に考えていくことで少しずつ子どもが変わっていくことを願っている。

やはり簡単には高度なことは論じられるようになるとは思っていない。質問の意図を考えないでマス目を埋めて出せば大人が満足すると思っている子どもたちに必要なことはほかにあるように感じる。

大人たちが書いたものや表現したものをちゃんと評価しないために、書くことが徒労感に満ちた作業でないことを伝えないといけないなぁと感じる。

だから、ちゃんと書いてくるものには評価をしなければいけないと思っているし、考えたことが評価されることを伝えるようにしている。 

s-locarno.hatenablog.com

毎回、言葉を書かせるから、毎回、コメントを返す。当たり前の仕事だけど、生徒と対等にコメントを続けることで書くことの楽しさを掘り起こしているという感覚が強い。

もちろん、見るに堪えない(という言い方は教員として最低なんだけど…)中身のない「感想にもならない文字の羅列」を繰り返されて萎えることも多い。それはすなわち自分の授業の甘さだから。

そうやって書くことの楽しさが伝わることを願いながらも、最近では苦しんでいる時間は長い(苦笑)

自分で考えて書くには

今までの授業で折に触れては書くことを求めてきたのだけど、やはり本当に自分で考えて、自分の言葉を書くためには、授業時数からすればぜいたくに思えるくらいの時間を使わないといけないと常々感じている。

やっぱり書くことを求めているとはいっても、長くても1コマ程度の時間であり、残りは「宿題」という形で生徒に求めてしまったことは多かったし、30分も時間をとってあげられないこともままあった。

そんな時に読んでいた「ライティングワークショップ」の本。 

ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

  • 作者: ラルフ・フレッチャー,ジョアン・ポータルピ,小坂敦子,吉田新一郎
  • 出版社/メーカー: 新評論
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 単行本
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この本の中には「ライティングワークショップ」を行うためには、十分な時間を取ることが必要だということが述べられており、ちょっとした時に書かせているだけの自分の指導のいい加減さがやっぱり気になっていた。

でも、気にしているだけではどうにも変わらないんだろうなと思ったのです。昨日も書いたけど、中途半端な時間の指導は苦痛な書くことの時間を作り出していたことの過失は大きい。 

s-locarno.hatenablog.com

だから、ここで十時間くらい、まとまって書くことを授業でやっていきたいと決心したのです。

今のところの方向性

今のところは、「国語総合」ということもあり、古典を題材にしたエッセイを扱っていきたいと思っている。 

s-locarno.hatenablog.com

よい手本となる題材が手元にあるので、これを活かしていきたいなぁと思っている。

もちろん、これだけを与えて「真似してあとは自分たちで書け」というのは乱暴であるので、他にもエッセイの手本を探すことや、そもそも古典を題材とするのであればどんな題材を読んだらいいのかということを手引きで示したりどうやって生徒と作品を作っていくのかというめどをつけなければいけない。

原稿用紙に書かせるのかWordなどで仕上げさせるのかによっても準備は変わるだろうし、最後の完成品をどうやって「出版」していこうかということも、まだ悩んでいる。本当はお金があれば製本業者に頼むんだけどね……自腹を切るか?

また、創作する場所も結構悩んでいる。学級文庫が貧弱なこともあるし、教室のサイズに対して生徒数が多くて狭苦しいので、ホームルーム教室ではやりたくない。だから、図書室でやろうかなと思ったら、高校三年生が受験勉強で自習室に使うから使えないかもと言われて戦う必要が出てきてうんざりしていたり……。ライティングワークショップのように自由に書かせるのであれば、やっぱり広々として資料も多い図書室だよなぁ…。

うん、全然、煮詰まっていないな。まあ、何となくのイメージはあります。

これから、本気で考えて来週からは少しずつ導入していければと思っています。やっぱり書くことの指導は難しい。

*1:笑う所ではない

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