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ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

生徒の学ぶ空間について思うこと

Learn

勉強に対して決してポジティブな思いばかりを持っている子どもばかりではないのが「教室」という空間だ。

「教室では礼儀をもって教員に教えを乞うべき」という前提を当たり前のように子どもに押し付ける大人が多いが、本当にその前提は自明なものなのか、最近は疑わしく思っている。

最近の授業で思ったことやこれからやりたいことを踏まえて「教室」のあり方について思うところをメモしておこう。

割と不名誉ではないか?スクール形式という名の座席配置

会社などの研修や会議などの座席配置で「スクール形式」という名の座席配置があるという。

www.kaigishitu.com

黒板を前にして整然と一列ずつ机といすを並べている形式のことをスクール形式と呼ぶそうで、要するに、日本の学校のフツーの教室でフツーに机といすを並べた形式のことをいうそうだ。

なるほど、確かにスクール、学校といえば机が前を向いて列になるように並べられているものだから、「スクール形式」と言えば誰が想像しても整然と机が並んでいるレイアウトが思い浮かぶ。

しかし、一方で「全員に前を向かせるのが前提で話し合いや立ち歩きは想定していない」形式のレイアウトが「スクール形式」と呼ばれるのは、あまりに学校のイメージが固定的であって融通も利きそうにないイメージだ。

誰が聞いても同じ連想ができるのは凄いのかもしれないが、色々な学校があったはずなのに、「学校といえば前を向いて整然としているもの」というイメージが当たり前になってしまっているって、ある意味で不名誉じゃないかなぁと思う。

スクール形式の並び方に息が詰まりませんか?

もちろん、必要があれば講義をした方が話が早いものはスクール形式に席を並べて一方的にバッと話してしまう授業をするのだけど、別に講義をする必要がなく自力でやらせた方がいい課題については自分が解説してやるほど親切な授業はしたくないので、いきおい、自分たちで考えさせるような活動が多くなるのが自分の授業だ。

しかし、そんな「活動」をしているときに、スクール形式に一心不乱に机を並べて静かにカリカリと課題をやっている様子を見ていると、授業している自分のほうが窒息しそうになる(笑)

一人でやっても複数でやっても構わないという課題の出し方をしているが、机の並びが整然としているとわざわざ机から立ち上がって相談をしたり質問をしたりしないため、こちらの意図としても不完全燃焼な感じがしてしまう。

整然として、背筋を正して、カリカリと集中して授業を受けている生徒……うーん、ダメだ、窒息しそうになる…って、自分で書いておきながら教員としてどうなのか、この発言。

活動に合った教室のデザインで

黒板が前にあって、机がそれに対面して並んでいると講義で教えるには都合は良い。あと、考査ね(笑)

でも、何かを話し合ったり考えさせたりするのには向かないし、プレゼンやスピーチをさせるのにも前に立った時にフロアから受ける威圧感は良くないし、そもそも課題を解いたり考えたりするときに机にかじりついて勉強する必要があるかについては自明のことではないと感じる。

たとえば、佐藤学の「学びの共同体」であれば、机の配置はスクール形式ではなくてコの字型に配置して生徒に考えさえるタイプの授業だ。 

学校を改革する――学びの共同体の構想と実践 (岩波ブックレット)

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学び合う教室・育ち合う学校: ~学びの共同体の改革~ (教育単行本)

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たとえば、『学び合い』であれば、生徒同士のつながりを重視するので立ち歩こうとグループ学習をしようと「一人も見捨てない」に教員が目を配っているのであれば、スクール形式にこだわりはしない。 

クラスが元気になる! 『学び合い』スタートブック

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たとえばライティングワークショップであれば生徒の書きたい場所で書かせるし、発表させるときには特別な「作家の椅子」を用意したり生徒の動線を意識したレイアウトを考えたり、徹底的に子どもの活動を想定して教室をデザインする。 

ライティング・ワークショップ―「書く」ことが好きになる教え方・学び方 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

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どんなデザインや配置でも活動に合っていればいいのだと思う。

だけど、教室という場が決してその意味では充実していないなぁと感じてしまう。

教室から学室へ

倉澤栄吉は「教室」ではなく学び合う場として「学室」という言葉を使った。 

国語学室の思想と実践

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やっぱり「教えるための場所」という観点で何かをやろうとしても非常に息苦しくなるし、活動の幅や学びの幅が狭くなることを感じる。

ちょっとしたグループを作ったりすることはできないこともないけど、大幅にレイアウトを変えるには教科書が詰まった机は運ぶには重いし、模造紙を広げるにはガタガタしているし、自分専用のホワイトボードだとか書棚だとかもない。

学級文庫だって決して充実しているとはいえず、並行読書させるにも資料はないから教員が夜な夜な資料を刷るというある意味「ムダな」仕事をすることになっている。

別に寝そべって本を読んだっていいじゃない。俺だって休みの日はゴロゴロと転がって本を読む方が好きだし集中できる。

地べたで胡坐を書いて話し合いをした方が気楽でいいアイデアが出てくることだってある。

本当に、生徒を自由にのびのびと学ばせたいというのであれば、もっと教室自体が緩やかで融通の利くものにならないかなぁ…と思う。

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