ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

教育の責任はだれが負っている?

関東には台風が来ないので無事に授業ができそうです。

考査があることもあったり部活の大会があったりとなかなか生徒が落ち着きません。

そのせいか、自分の教え子たちも秋雨に対する鬱憤を晴らすべく、不平不満を漏らすことに余念がありません。

そんな中、体調を崩す生徒や部活でケガをする生徒を見て、いろいろと思うところがありました。

一年の半分が終わって

登校日数などを数えてみるとだいたいこのくらいの時期が学校の一年間の半分くらいなんですよね。

半年も同じメンバーでそれぞれのクラスで過ごしていると、それぞれのクラスの個性や雰囲気が自然と生まれてきます。

授業担当として、学年をほとんどカバーしているから、担任をしているとはいえ、生徒に対して特別に自分のクラスだけ何かをしようとは思わないんだけれども、それでも、自分のクラスはやっぱり自分のクラスかなぁと感じる部分は生まれてくる。

いや、担任の性格とはまるで逆方向に走っていくクラスではあるのだけれども、それでも、自分のクラスであるなぁと感じる部分はあるのです。

成績がクラス分けのままなら平和なのに… 

愛着を積極的に持つ気はないけれども、自分のクラスだなぁと思ってくると、担任としては生徒の成績が気になることも少なからずある。

少なくともクラス分けの段階ではどのクラスも平均は同じになるように分けたんだけれども、半年も時間が経つと成績もまるで違うクラスが生まれるんだなぁ…としみじみと感じる。

まあ、勉強時間と比例しているよね、うん。仕方ない。

でも、ここで「あの担任のクラスだから成績が悪い」「あの先生のクラスは成績が良い」というような話が出てくると、かなり事態は深刻になる。

要するに「あの担任は指導力がある」「あの先生は指導力がない」といった教員の格付けだとか、「あのクラスは優秀だ」「あのクラスはどうしようもない」といったクラスの差別(きつい言い方だが、差別でしかないだろう)が行われるようになってしまうと、悪い結果しかもたらさないように思う。

そもそも教育の失敗は担任の責任なのか

「あの先生は指導力がある」とか「あの先生は指導力がない」とか格付けすることに意味はあるのだろうか。まあ、「どうしようもない」先生がいるのは事実がだから認めよう。それは、一般社会に一定数「どうしようもない」と言われてしまう人がいるのと同じ話だから、仕方ない。

でも、「どうしようもない」ことの責任は、本当にその教員個人の問題なのか。本人にやる気がなくて、子どもにも敬意のないしカネだけもらえれば消化試合だという人間がいることは否定はできないけど、それ以外の要因で「しんどさ」を抱えている教員が「あの先生はダメだ」と言われてしまうことは妥当なのか。

たとえば、担任などをやっていると「あのクラスは成績が良いのに、うちのクラスは何なんだ」と保護者から突き上げを食らうこともあるし、うっかりすると教員から「おたくのクラスをちゃんとやらせろよ」とお小言を受けることもある。

でも、それって妥当なのでしょうか?

確かに、熱意をもってできない生徒に寄り添って、毎日、遅くまで指導している教員や小テストを色々と手を尽くしていい点数取らせる教員は、はた目から見れば「いい先生」だとか「指導力のある先生」に見えるでしょう。

それをやらない先生は「やる気のない」「頼りにならない」はずれの教員なのでしょうか。

個人の問題にされては何も解決できない

それをやれない教員をダメ教員だというなら、自分はダメ教員だろう。

色々な理由があって、放課後、日が暮れるまで熱心に生徒に寄り添って指導するなんてことは、「担任だから」という理由で押しつけられてはたまらないのである。やる気があって質問をしてくる生徒には答えるけれども、やる気がない状態の生徒の首に縄をつける仕事は正直ごめんである。

そもそも、そんな個人芸で仕事をやっていたら、仕事がパンクする。

発想が逆である。本当に問題があるというのであれば、個人芸に任せるのではなく、学校なり学年なりで教員が人数をあてて対処しなければいけない問題なのに、一人の教員に何十人も押しつけるからおかしなことになるんだ。

これが、成績程度の話なら(というとあれなんだが)大きな問題にはならないけれども、「いじめ」だとか「命に係わる大事故」だったときはどうなるの?

個人の先生に押し付けて、あとはダンマリを決め込んで、何か問題があれば、無能教員のレッテルを貼りつけるのだろうか。 

いじめとは何か―教室の問題、社会の問題 (中公新書)

いじめとは何か―教室の問題、社会の問題 (中公新書)

 

仕事を合理化することと楽をすることは意味が違う。

自分が「普通」だと思い込んでいるから

この先生の抱えている怒りはよく分かる。

turuturutamago.hatenablog.jp

誰一人、「普通の子ども」なんていない。

それに、何でも一人で問題解決できる教員なんていない。

一人で何でもやろうとして、遅くまで仕事をしている先生は、熱心でよい先生に見えて、その子どもが抱えている問題を自分が解決できるという考えは思い上がりであるし、様々な理由を抱えて遅くまでは働けない教員を無能扱いさせる要因にさえなる。

一生懸命だとか根性だとかで解決できる問題ならいいけど、その空回りが状況を大いに悪化させることになったら、その時は、その熱意のあった先生を無能扱いする?

より合理的に、そしてより生徒のためになるように、そろそろ個人の努力に頼ることはやめませんか。

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