ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

どうなる大学入試?現時点にわかることを冷静に整理する。

今朝目を覚ましたら、以下のニュースが盛り上がっていました。

digital.asahi.com

この見出しに反応して「何を言ってるんだ?」と思ったのですが、国立大学協会の資料を見ると、少し冷静に見ておかないといけないなぁと思ったので、まとめておきます。

どこに問題があるのか?

上記の朝日新聞の記事には以下のように書いてあった。

大学入試センター試験に代わり2020年度に始める共通テストで導入する記述式問題について、文部科学省は、受験生が出願した大学が採点を担う方向で検討を始めた。(中略)記述式を利用する大学は受験生の解答をセンターから送ってもらい、採点する――という独自案をつくり、7月末に文科省も同席した会議で示した。

入試委は独自案について、各大学が2次試験の合格発表までに採点すればよく、時間に余裕があるので出題の幅が広がると判断。また、センターが示す共通の採点基準に加え、各大で独自の基準を採用できるとしている。同省幹部は入試委の案について「改革の理念を実現する道を開く有力な案」と話す。(後略・2016/08/19 14:00確認・傍線部筆者)

この記事を見ると、特に下線部の内容を見ると、あたかもセンター試験に代わる大学入試で課される「記述式」の問題について、各大学が採点することになるようなことが決定事項のように書かれている(「のように」というあたりが曲者だけど…)。

一連の入試改革については、「高大接続をどのようにするか」という観点から、一点刻みの入試をやめるということや記述式の試験を導入するということが話題になっていた。

しかし、「記述式」の試験に関しては、何十万人も受ける試験で公平かつ迅速にいかに採点をするのかということが問題となっていた。そのため、「そもそも出題方式に無理があるんじゃないか」というような議論が根強く反感としてあったところに、このような「負担を各大学に丸投げする」ように見える方針が発表されたことで、各地で大きな反発が起こっているという流れなわけです。

本当に入試はこれで決定なのか?

しかし、あまりに唐突で、しかも文科省のサイトを見てもこの朝日新聞の記事のソースにあたるような話が出てこないので、どうしてこんな話が出てきたのかがよく分かりません。文科省幹部の誰かのコメントをソースにしているのしたら、たどりようもないんだけれども…。

そこで、どこからこんな話が出てきているのかという推測に基づいて、それらしきソースを探してみると、以下のような内容が発表になっていた。

一般社団法人 国立大学協会 <新着情報>提言等大学入学希望者学力評価テストの実施時期等に関する論点整理~とくに国語系記述式試験の取扱いについて~

このページでは「「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」に関するこれまでの議論の経緯や先般実施した「平成32年度以降の国立大学の入学者選抜」に係るアンケート調査結果を踏まえ、実施時期・方法等について論点整理」をしたという内容の発表であって、「このような方針で決定します」というような性質ではないということに注意が必要である。

実際の国大協の発表の内容

国大協から発表された資料を見ると、「高大接続システム改革」についての5つの前提と、その前提を踏まえてうえで、どのような改革の可能性があるのかという3つの選択肢の案を出すというものになっている。

それぞれの内容について簡単にまとめると以下のように書かれている。

前提についての要約

前提1

そもそも入試改革の目的が「高等学校教育から大学教育を通して「学力の 3 要素」のバランスある涵養」にあるため、主体的思考力や表現力の発揮が期待できる記述式・論述式問題を導入することは必要。また、そのことで「学力の 3 要素」の涵養に向けた高等学校教育改革の背中を強く押すものになることになる.

前提2

今回の改革は、多肢選択問題では測ることのできない能力を評価するための大改革であり、その趣旨からすれば、短文記述式(40-50 字)設問のみでは、改革の主旨に沿った十分な評価を行うことができない。そのため、解答文字数を含めて出題の多様性が出来るだけ拡大されることが望ましい。また、短文記述式のみでは早晩パターン化し入試技術化するかもしれないことも、望ましくない。

前提3

そもそも、評価すべき能力の構造化があって初めて、各大学(学部)はアドミッション・ポリシーの中に、記述式・論述式問題を適切に位置づけることができる。現時点では、まだ、その観点についての蓄積がセンターにも大学にも十分にないため、今後、その点については研究していく必要がある。

前提4

現状の入試のシステムでも記述式・論述式の入試を行うことが困難な大学・学部が存在する。逆に、現行の入試でもアドミッション・ポリシーの中に工夫して位置づけ、実施しているような大学・学部もある。現行の多様性を十分、考慮するべきである。

前提5

試験の日程については、現状よりも後ろ倒しにすることは難しい。

 

このような前提を踏まえて、同報告書では、以下のような選択肢についての論点整理を行っている。あくまで論点整理であり、決して「これで確定する」という性質のものではないことに十分に留意するべきである。

論点整理

その1 現行より前倒しで早期(例えば 12 月中旬)に実施

採点の日数を確保することができるようになるため、質、量ともに出題の可能性は広がる。しかし、数十万の答案を統一して採点するためには、量については限度があり、何よりも現行よりも前倒しすることで、高校教育に与える影響が大きいということが望ましくない。

その2 現行日程(1 月中旬)に実施

日程的に、記述式問題の出題が極めて少数の短文記述式設問に限定され、大きなエネルギーと予算を使ってまで「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」に記述式試験を導入する国策の意味自体に疑義が呈されることになりかねない。しかし、第一段階選抜の都合もあるので、共通試験の採点は必要である。

記述式試験についてのみ他と切り離して採点期間を延長し、その結果の各大学への報告を前期日程の個別試験実施直前の 2 月下旬まで大幅に遅らせることとすれば、採点期間が確保でき、相当程度の問題内容の充実が可能となる。

共通試験に記述を入れるという趣旨から考えれば、このような方法を考えることも必要である。

その3 大学が記述式試験の採点を行う場合

以下のような内容になっている。やや長くなるが、正確性を期すために、抜粋して引用する。

記述式試験についてはセンターは採点基準等を示すにとどめ、個別の採点は、各大学(学部)が、出願後に当該大学(学部)の受験生について行うこととするという方法である。最大のメリットは、採点のための時間的余裕が生まれ、解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大することである。また、設問の中に構造化された能力評価の観点を踏まえつつ、各大学(学部)はアドミッション・ポリシーに基づき独自の採点基準を採用することができ、各大学(学部)の主体性が発揮できる。

要するにこの部分が今回の朝日新聞で話題になっていることであって、各地で反論が湧き上がっている部分に当たる内容

当然、資料の中ではメリットだけではなく問題点も述べられている。

一方、この場合には各大学(学部)の責任と物理的負担が極めて大きくなる。各大学(学部)は個別試験における記述式の充実を図ることも求められており、共通試験の採点に労力を費やす結果、個別試験の充実や多様性の確保がおろそかになっては本末転倒である。

今回の入試改革のそもそもの骨子案には、二次試験をアドミッション・ポリシーに基づいて多面的に評価するとあったことを考えると、二次試験の採点に加えて共通試験の採点までするのは、生半可な労力ではない。

また、この点については、別紙にさらに問題点が整理されて指摘されている。その指摘についていくつか抜粋する。

〇新テストの共通試験としての性格

全ての問題を統一的に採点処理しなければ、共通試験としての性格が失われるのではないか。


〇センターによる採点基準の設定等
センターはどの程度の採点基準を示すのか。解答例や採点例まで示すのか。段階別表示の方法を含め、各大学における採点にどの程度の裁量を与えるのか。(後略)

〇各大学における採点
自ら作成したものではない試験問題について、出題意図や採点基準の的確な把握と採点者間の共通理解の下に、責任ある採点ができるか。結局、作問も各大学が行う方が良いということにならないか。
受験者が前期・後期など複数大学を受験する場合、同一答案について、大学により点数に差があっても問題はないか。

 まあ……素人が反射神経で思いつくようなことは書いてありますよね、うん。

このような選択肢を挙げた上で、国大協は「最も優先して考えるべきは、記述式試験の導入の本来の趣旨である論理的思考力、表現力等の評価が少なくとも一定程度以上のレベルで達成されることである」と述べており、また「今回の文書は、表題の通り「論点整理」であって、特定の結論を述べているものではない」と明言している。

したがって、最初に引用したような朝日新聞の見出しや書きぶりは、かなりこの文書からは飛躍があるといわざるを得ない。

今後どうなるか

ただ、このような記事が出るということは、何かしらの動きがあるということだろうし、どんな反応がされるか観測気球として挙げられた記事なのかもしれない。

また、こうやって報道された内容がいつのまにか既成事実になることも否定できない話なので、注意深くみていく必要はあるでしょう。

個人的には、国大協の指摘にもある通り、アドミッション・ポリシーについてこれだけ徹底的に言っているのにも関わらず、作問者と採点者が異なるような方式をやることは自家撞着しているようにしか見えないし、現行の国立の二次試験で行われている工夫などはもっと評価されていい気もする。

また、「思考力・表現力」などを試すことが「国語」が中心になるのはある程度致し方ない部分もあると思うが、奈須(2015)でも述べられているように、一つの教科の能力が他の領域にはそう簡単には転移していかないのであって、「国語」という教科の枠で「思考力・表現力」を評価しても、それが他教科での「思考力・表現力」を担保するものではないということは、留意すべきである。

いずれにしても、しがない高校教員としては、お上のやることに振り回されるだけなのですけどね…。子どもたちにとって、意味のある試験になってくれないことには、どうしたって意味のない授業をせざるをえなくなってしまう…。

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